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検察とアメリカ(占領時代)

2009年夏の政権交代とともに、妙にと言っては失礼だが、検察が頑張っている。

最近読んだ昭和史(半藤一利著、平凡社ライブラリー)に、アメリカが日本の検察の暗躍を画策した話題が記憶に残っている。

以下は、日本が連合軍に占領されているときの一こまである。
アメリカ人による日本の検察機構の悪用未遂である。

戦後2年間はGHQ(連合軍総司令部)は日本人を困窮のドン底へ落として、食べることだけに夢中にさせた。
そういう状況下では人間は権力者に対して素直になるという心理学を使ったのであろう。

しかし、アジア大陸で共産主義国が次々と誕生し始めたことがGHQの、というよりGHQの中心であったアメリカの占領政策を大きく転換させた。

昭和22年11月のロシア革命記念大会でモトロフ外相はこう演説した。
「原子爆弾はもはやわれわれにとって秘密兵器に非ず。」
開発の目処を得たという宣言である。

昭和23年1月のワシントンでの演説で、ケネス・ロイヤル陸軍長官は日本を共産主義の防波堤とすることを表明した。

日本人を共産化され易い窮乏生活から脱出させて、経済発展をさせるようにと誘導をし始めた。

昭和23年10月、占領政策の大転換が行われる。
このとき戦犯で死刑や極刑を免れたものや、公職追放されていたものが、後に政治家となって支配し始めることになる。

GHQは、新憲法に「戦争放棄」を書かせた日本人に対して、再軍備をさせることを決定した。
これが後の警察予備隊、現在の自衛隊となっていく。

しかし、日本の民主化や社会主義政策の浸透を画策してきたGHQ民政局は、アメリカ本国の政策転換に慌てた。

それはGHQ経済科学局中心の「資本主義による経済復興中心の日本支配へ」と切り替わるからである。
社会主義的理想の実現はほど遠くなってしまう。

当時、野党側にいた民自党の吉田茂の首相就任が確実と予想されていた。

GHQ民生局のホイットニーらは、マッカーサーの意向だとして、次期首相を山崎猛にするように与党の自由党へ伝えた。

民生局のホイットニーとケーディスは、山崎猛へこう囁いたそうだ。
「首相になったら、民自党方面だけを検挙し、他はもみ消せ。」
それを聞いた山崎は青くなった。

社会主義者で弁護士のケーディスは吉田茂による政策を嫌っていたという。

自由党では「マッカーサーが次期首相を山崎さんにと言ってきたこと」が論じられた。
代議士会で挙手して発言したのは当選したばかりの最若手の議員だった。

昭和史の記述を抜粋する。(P170)

『さっと手を手を上げ、指名されて発言するには、

「日本の総理大臣は日本人が決めるべきです。
アメリカの言う通りに従うのはおかしいんじゃないでしょうか。」

これが誰あろう田中角栄さんで、(新潟弁だったと思うのですが)正論を吐く珍しいやつだといっぺんに脚光を浴びました。』

結局は、GHQ経済科学局側の反対もあってケーディスらの陰謀工作は挫折し、あとでホイットニーとケーディスはGHQを退くことになる。

その翌年の昭和24年8月にソ連は原子爆弾実験に成功し、もはやアメリカ1国世界支配の構図は壊れ、これより東西冷戦が始まっていく。

冷戦開始直前の田中角栄青年の発言はすがすがしさを感じさせてくれるが、普通の日本人にはとてもできない芸当でもある。

戦後の田中角栄自身とその派閥後継者たち(金丸、竹下、小沢)は、いずれも検察のしつような犯罪追及に遭遇しているように見える。

Posted by shono : 2010年01月16日

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