勝海舟の火付け作戦?
勝海舟は本所から向島の下町をガキの頃に遊びまわっている。
父の小吉だったか祖母だったか忘れたが、旗本直参としては江戸に火事や戦争があった場合に役立つ必要がある。
だから海舟には町を歩くときに同じ経路を歩かないで、あちこちの様子を見て歩くようにとしつけたようだ。
ここには防火水槽がある、ここの鍛冶屋で刀の修理をし、あの船つき場からどこそこへいけるなど、込み入った江戸市中を自分の足であるいた。
町民の会話も聞き、江戸弁でいろいろと話をしたであろう。
勝は嘉永6年に徳川の崩壊を予見していた可能性がある。
また、いざ戦争になった場合、町民は錦の御旗につくこともわかっていたことだろう。
西郷がいよいよ品川まで迫ったころには、勝は町々の名のあるヤクザの親分に多分金を渡して、ゲリラ戦になった場合の作戦を指示して廻っていたようだ。
火付けを命じていた可能性がある。
風向きを考えて火を放てば江戸がどうなるかを勝は江戸の大火から学んでいたはずである。
下手をすると、西郷も黒焦げになっていた可能性もあっただろう。
策を講じた上で直談判におよんだのである。
無血開城ばかりが有名であるが、西郷黒こげ作戦も持っていて、それを西郷に暗にほのめかした可能性があるだろう。
違う道を歩いて耳目で学んだ知識は、誰も適わない情報を脳に蓄えていたはずである。
Posted by shono : 2008年11月16日
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