伊豆の農家の娘たま
お玉ケ池でキャンプをしたときに、妻からメールで「よくそこに泊まれましたね。」と誉められました。坂を登りながら疲れてくると、度々老眼鏡をかけてガイドブックを見るという余裕がなくなります。私は何もしらずに、夕暮れになったので近くの公園で設営したということです。妙にメールのニュアンスが気になったことがありました。
第2ラウンドを終えて帰宅してからわかったことですが、「元禄15年(1702)伊豆大瀬村の農家の娘たまが恋しい人に会いに行くため関所破りをし、獄門にかけられたところがお玉坂で、近くのお玉ケ池は、たまの首を洗ったのでその名がついている」と先の東海道ガイドブックに書いてありました。その下りを読んだ後で、暗闇が迫るお玉ケ池でテントを張る勇気が私にあったでしょうか。ないでしょう。おそらく深夜になってでも芦ノ湖畔までなんとか歩き通していたと思います。あるいは、何とか設営したとしても雲の上のほうから、赤ん坊が泣く声がかすかに聞こえて来た時点では悲鳴を上げて闇夜に走り出していたかもしれません。
そう言えば、テントを張るころ、薄暗くほのかに見える裏山の方から、不思議な感じで白いきりがこちらの公園のほうへ向かって、音もなくさーっさーっと吹き降りてくる様子に少し恐れながら、急いでテントを張りさっさと寝袋に潜り込みました。布1枚のテントではありますが、外界と視界だけでも遮断すれば、精神の安定は得られるものです。
仏教でいう「意識界」に変化を与えることになるのではないかと思います。
そういう意味でいえば、恐怖心などは「人間の脳が創造する無形の芸術」のようなものであるかもしれません。たったテント布1枚で変化するものなのです。雷がなるとき蚊帳の中に逃げ込んで安心した幼児期を団塊の世代は共有しています。
人生で恐い目にあったら、あるいはとても絶えられない苦しみにあったら、蚊帳かテントに潜り込むことにしよう。運動をたっぷりして熟睡して、昨日と違う明日を迎えるというのも、テントと同じような効用があると思います。一般に言う「気分を転換する」=「意識の転換が起こる」ということでしょう。
Posted by shono : 2008年02月03日
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